どうでも良い話なんだけど、なぜか今…すごくこの話をしておきたい。
桜の咲く島から始まったかに思える僕の人生は、実は月の国から始まっていたりする。
むろん多角的視点で物事を語るのならば、始まりは伝説の樹の下であり、やっぱり桜の咲く島なんだけど、ある一点においては月の国である。
誰も知らない誰も興味のない。そもそもわかる人間が私しかいない、オレによる僕だけの年表。意外とこれが大事だったりするので書いておく。
そんなわけで、『天気の子』の感想文である。
………この作品を語る上で、大切な事。それはエロゲについてのマインドリセットだ。
さてはて…そこのアナタ?「エロゲにエロがいらない。」その一言の意味が理解できるだろうか?理解できる人には何も言うことはありません。だけど、エロゲにエロが必要。そもそもエロゲなんだからエロがなければいけないって人はエロゲに分類がある事を知らなければいけない。
そもそもエロゲには大きく二つある。いや…エロゲと言うより下文化は全て二面性がある。光と闇である。光はオナニーができる作品。闇は手首を切りたくなる作品。
わかりやすく言うと、風俗店に客として訪れる光と、風俗店で勤務する闇である。
しかしどんな闇にも、光は指す。等しくどんな光にも影が生まれる。当たり前の世界の理がエロゲ界にある事を念頭に置いて天気の子を見てほしい。多分それができないと天気の子は刺さらない。
そしてその意味不明な価値観は、おそらく多感な時期にその世界に触れていなければ絶対に目覚めない。
つまりあの時代にそう言った世界に身を置いたものだけが、天気の子を見る資格がある。言い換えればあの時代を過ごした人たちへの新海先生からのアンサーが天気の子なんだ。
ちなみに『君の名は…』は、光の作品。