年度末(年度初め?)って事で、この時期は各種サービスのポイント有効期限の限界がやってくる。
そのため毎年毎年無駄がないように、利用していっているのだが…何と言うか年々しんどくなっている。
昔はさ…Amazonギフト券とか、itunesカードとかがあった。僕は個人的にそう言うの使わないので、いつも奢ってくれている方々にお配りしたりしていた。しかし、それがどんどん聞いた事もない怪しいサイトの金券にしか交換できなくなっていった。
それでもだ…去年まではかろうじで、使える金券が少なからずあったのだが、それが今年なくなってしまった…。
もはやポイントをゴミと交換するしかなくなった…。
色々なアレやコレがあるんだろうけど、思うに…ポイント何か辞めるべきだと全消費者は考えているんじゃないのかな?ポイントいらないからその分値引きしてと…。それが出来ないのなら1ポイント1円で使える使用にしてと…。それさえも不可能ならば、せめて等価で交換できる景品を用意してと…。
なんでさ…100,000円使って手に入れたポイントで頂ける物が、16GBのUSBメモリーって…。
同様にさ…カタログギフトが殺意を抱くぐらいに嫌い。
10,000円のカタログギフトの商品金額を調べると定価3000円とか…。そりゃね…10,000相当のゴミと3000円の欲しい物なら3000円の欲しい物の方が優れているのは事実だと思う。だけど、納得できない。それなら10,000円分の米が欲しい。米なら絶対に無くなるから。
なんだか解せない世の中になっている気がします…。
はてさて
youtubeの連続再生をしていたら『ゴミ屋敷の片づけ動画』ってのが、再生されだして見ていたのだが、何だろうな…凄く苛立ちを覚える。
僕は割と物を捨てる人間だと思う。使わない物、必要ない物は即断で処分していくタイプ。だから、ゴミ屋敷の人間にいら立ちを覚えるのは当然と思われそうだが、実はそうでもない。なぜなら僕自身ゴミ屋敷の住人だったからだ。
ゴミ屋敷を経験した結果、今があるため根本的にはゴミ屋敷の住人とは中々どうして気が合う。むしろ、綺麗好きの人間とか見るとそれだけでどれだけ好い人とも仲良くなれない。一度さ…すごく好い人と飲んでいて、楽しくなってその人の家で続きをしようとスキップで、玄関を開けた瞬間に帰ったことがある。
それぐらいにアトピー患者と綺麗好きの人間は仲良くなれません。
ところがだ…ではなぜ…『ゴミ屋敷の片づけ動画』を見て苛立ちを覚えるのかと言うと、多分性格が絡んでくるからなんだろうな。
何と言うかね…ゴミ屋敷の住人には2パターンがあると思う。1つは僕と同じタイプの思い出だけで今日を生きている人間。もう1つはその逆の思い出が何もない人間。
その違いは簡単にわかる。
『ゴミ屋敷の片づけ動画』に出てくる清掃業者に依頼する人間が後者。
『ゴミ屋敷の片づけ動画』に出ない人間…行政執行される人間が前者だ。
そもそもな話…ゴミって物はこの世に存在しないと言うのが、私の理念である。ゴミは人間(自分)が作り出すものなのよ。だから、牛糞は一般人には廃棄物でも、農家にとっては金出して買う肥料よ。
前者はそもそもゴミ屋敷には住んでいない。第三者がゴミ屋敷と呼んでいるだけなのよ。
別の角度から話すと、自分の意志でゴミ屋敷を築いた人間と、築いたらゴミ屋敷の人間になっていた人の違いなのよ。
僕は後者の人間が嫌いでたまらない。
なんだろうな…自分の意志じゃないから扱いが本当にぞんざいなのよ。だってさ…新品未開封のモノがそのまま捨てられていくのよ?わけわからない。百歩譲ってだ。欲しいから買ったけど、使えなかったので新品同様だが処分するのならわかる。でも、欲しいから買ったのに一度も使ってないってどう言う事だ?それは欲しい物じゃないだろ?
あとコレは僻みも含むが、頂き物なら新品未開封で処分されていくってのはままある事だと思う。だけど、それがゴミ屋敷の量溜まるってのはどう考えても人間的におかしいだろ?人からいただいた物ってのは、感謝のしるしだ。かつてのオレは好きだった人から貰った、シャーペンの芯を金庫に保存していた人間だぞ。ゴミ屋敷を解放した今でも、友達から貰ったお誕生会の招待状を家宝にしている人間だぞ。人からいただいた物ってのはぞんざいに扱ってはいけない。
キャバ嬢がいただいたアクセサリーを速攻で換金するから、クリスマス後は新品未開封の高額アクセサリーが二束三文で買える話を聞いたが、それをしているキャバ嬢はやっぱり高額アクセサリーをもらえる存在だと思う。物をぞんざいに扱っていないもん。大切にしているもん。
問題なのはゴミ屋敷じゃない。結局は心の問題よ。
ミニマリストに僕はなりたいと思っている。だけど、僕の家はサクラダファミリアにするつもりだ。物はなくてもかまわない。だけど、心意気だけは銀河レベルのゴミ屋敷の住人なのだ。