どういった星の運命なのか定かではないが、なぜか障害者とよろしくする機会が多い。
『類は友を呼ぶ』?
色々あると思う。あったと思う。それはわかる。だけど健常者であっても障害者であっても同じこと。だから、どちらを優遇するとかしないとか、そもそもそんな考えはない。私としては。
なんだけど……彼らからするとその考え自体が恵まれた人間故の上から目線の発言で、人を小ばかにしているらしい。
うん…控えめに言って知るかボケ。
世界を俯瞰できないから自分に向けられた善意には気づかず、自分に向けられた悪意だけを掬い取り、追いつめられると「病気」を理由に正当化する。なんて都合の良い人種なんでしょう?
それがまかり通ってよろしいのだろうか?
オレさ…絶対に自信があるんだけど、いじめられる人間にはいじめられる理由があると思う。正直な話…いじめっ子といじめられっ子が存在したら、僕が好きなのはいじめっ子の方だと思う。それぐらいにいじめられっ子は不変の理由を持っている。
僕はいじめられっ子だ。いまだにいじめられっ子だ。だけど、いじめっ子の方がまともだと胸を張って言える。
世界は残酷だ。ゆえに世界は美しい。
はぁ…彼らと過ごすと本当に刺し殺したくなる。
はてさて
「大好きなアニメは?」と聞かれると間違いなく名前を挙げる作品に『花咲くいろは』がある。
これは遺作であり、彼から教えてもらった作品。まぁ…俗に言う思いで補正モリモリの作品で、正当な評価かどうかは置いておいてとにかく大好きな作品。
そんなPAワークスの作品で、もう一つ仕事がテーマの作品がある。『SHIROBAKO』だ。
決してつまらない作品ではないが、こっちには思いで補正が全くないためか、正直面白い作品とは思っていなかった。
当時の視聴時の感想があるので良ければ読んでみて。
ここで書かれている内容が、今回SHIROBAKOを見直す前までの感想で間違いない。
ところがどっこい。…こんな書き出しをしている以上おおよその展開は予想できるだろうが、映画化される事がわかったのでその予習がてら見たSHIROBAKOはもう圧倒的に最高に面白い作品だった。ずかちゃんがアテレコしているシーンなんてもうずっと号泣だった。
当たり前の話。一度世に出た作品を撤回する事も作り直す事もできない。だから、作品自体の内容が変わって面白いと思ったわけではない。全く同じ作品であるにも関わらず、見る側の心境一つでここまで作品が変わるのかと驚きを隠せない。
いやはや…前回のレビューから約5年…。色々あったのよ。それはもう…本当にいろいろ。
酸いも甘いも噛み締めていたらまた違った感想だったのかもしれないが、僕は味のしないガムをひたすら噛み続けてきました。
そして現在進行形で味のないガムを噛みながら見るSHIROBAKOは本当に美しいよ。
この感動を持ったまま、ついでに『花咲くいろは』を見ようとシフトしたのだが、今度はこっちが思いで補正込みでも見られない作品に変わっていた。
おそらくなんだけど…この二つの作品にはどちらも理想と現実があるのだと思う。
もちろんSHIROBAKO本編でも触れていたように「見る人に喜びを与えてこそ作品」であるから、フィクションは多大に入っている。だけど、そのフィクションの使い方が絶妙に違うのだろう。
どっちが正しいとかはないが、とにかく今の僕にはSHIROBAKOが突き刺さりすぎて、当時の彼にはいろは突き刺さりまくったのだろう。
結局のところ狙い撃ちは不可能だと思う。
だから、生きたいように、やりたいようにする。
それがもしどこかの誰かの人生のほん一瞬にでも触れれば大成功。
人生ってのは、仕事ってのは、結局そんなもんなんだろう?
たぶん彼がSHIROBAKOを見る機会があったのなら、きっとその意味もまたわかったんだろうな。
目安箱